隊長の自己紹介|さらなる試練が待っていた!(36歳)

隊長です!

自社のホームページを更新しています。
その中に、自己紹介ページを作ろうとしています。僕がどんな試練を乗り越え、どんな勉強をしてきたのか?書いてみることで、片付けや、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」の必要性を感じてもらえればと思っています。

僕の物語も、さらなる試練が起こります。

さらなる試練が待っていた!(36歳)

人生の師匠の下で学んで、実践したことで、お陰様でお客様が来てくれるようになりました。

本当に嬉しかった!
当時、チラシを撒くと、朝からずっと電話が鳴りっぱなしの状態を経験します。

まさか!こんなこと(急にお客様が来てくれること)が起こるとは、想像をしていません。準備も何もしていないので、作業はパンク状態です。当時、あまり考えてなかったことがあります。それは、人を育てることです。
ただ人を育てることに自信を持っていました。その理由は、当時9年間、一緒に働いてくれていたスタッフがいたから、僕は人を育てるのが上手い!と勝手に思い込んでいました。だから、お客様が急に気出したので、急ぎ求人をして、感じの良さそうな人を採用しました。しかし、これが本当にいけなかったわけです。

当時、僕は36才。写真の勉強しかしたことがありません。お店の中も、時代の流れでフイルムカメラから、デジタルカメラに変わり始めていました。何でも一緒になってしまった2006年でした。そして痛かったのは、それまで手伝ってくれていた両親が、デジタル化することで仕事ができなくなったことです。そのため、新人スタッフに目が届かないわけです。


忙しくなることを願っていたことなので、嬉しかったのですが、誤算だったのは人財でした。
「忙しくなれば、人を雇えば良い!」と簡単に思っていたことです。
簡単に人を雇えば、自分が楽になると思っていました。しかし実態は、これの逆で人を雇えば、教えるための時間に取られてしまい、さらに自分たちが忙しくなりました。

そして採用したスタッフが、会社の意図をわかってもらえず、結果的にあるスタッフ1名がスタッフを全員引き連れてやめて行きました。退社するスタッフの中には、9年間、苦しい時も一緒に乗り越えてくれたスタッフもいたので、とても辛い気持ちになります。結果的に2006年から5年間で、20名のスタッフが入れ替わることになります。

かなりもお金と、時間をムダに使ったことになります。教えても、育たなかったのですから。

そして教わったことは、1度崩れたスタッフを再構築するには、小さな会社の場合、かなりの時間がかかることでした。

今日は、ここまでです。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。
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隊長こと、写真の松屋(福岡県うきは市)メインカメラマン 松尾 勝彦でした。

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