自己紹介|隊長の自己紹介 その1

隊長です!

現在、ホームページ制作にハマっていまして、自社のホームページをいろいろ作っています。

その中で、実際 自分が何者なのか?語ってみたいと思って自己紹介ページを作ろうとしています。主に、高校を卒業してから、現在までのことを書こうと思っています。どうせ書くなら、ここにアップした記事を入れることで、作る手間が少し省けるのか?と思っています。

僕がどのような歩みに中で、現在の僕の発言になったのか?
知ってもらえると、僕がどのような勉強をしてきたのか?

なぜ片付けや、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」にハマって来たのか?が理解して頂けると話が早いのではないか?と思います。

写真館の事業の方も、少しずつ変化させながら、自分たちのミッション「私たちは、子供たちの明るい未来の応援団。家族の喜び、感動を創造し、子供たちの褒められる機会を創ります」を実現させて行きたいと考えています。

僕の生い立ちからの変化を知ってもらえれば、うちの事業の変化も理解してもらえるのではないか?と思います。

ただ、書き出すと、かなり長くなるそうです。よろしくお願いします。

隊長の自己紹介

  • 昭和44年9月生まれ
  • 地元:浮羽高校(現・究真館高校)卒業
  • 東京工芸大学短期大学部卒
  • 徳島:立木写真館で5年間修業
  • 実家:写真の松屋勤務
  • 写真の松屋 代表に就任
  • 写真の松屋株式会社を設立

写真屋になることが夢の幼少期

10歳の時に、父親から「お前は、写真屋になれ!」と言われて、そのまま父親の言葉を素直に受け取り「将来、写真屋になるんだ!」と思っていました。この頃から、フイルムカメラを触っていました。そして、その頃から始めた卓球にのめり込んで行きました。

幼少期は、落ち着きがなく、忘れ物多く、頑張ってもなかなか結果が出ない子でした。そのため、自己肯定感が低く、自信の持てない子供でした。

地元の浮羽高校に入学して、勉強に励んでいました。しかしこの頃からいくつか疑問が湧いていました。
・写真屋になるのに、なぜ高校で難しい数学をするのだろうか?
・当時、卓球にハマっていましたが、練習しない他の部員を見ながら「なぜ練習しないのだろう?」と思っていました。

幼少期、数学が得意だったこともあり、高校では理系に進んでいました。写真の勉強も化学が必要だろう?と思い込んでいました。しかし高校3年生の1学期の時に、初めて進学する専門学校の入試科目を見てみると、そこには「国語・英語・面接」となっていました。そこから慌てて、文系の勉強を始めたような子でした。週8時間の数学の授業をこなすことが、とてもしんどい思いをしたことを鮮明に覚えています。

この時に、ちゃんと早いうちから受験科目を調べておくことが大事だということを学びました。

一人暮らしを始める

晴れて、写真の専門学校に入学。18歳で東京で一人暮らしを始めます。
ここで、僕の夢(目標)は、半分叶ったわけです。
学校が中野坂上にあったので、歩いて行ける所で、安い下宿を探すとなると、西新宿になります。西新宿は高層ビルのあるところです。当時、都庁が立ち始めた時期で、都庁まで歩いて3分の所に住んでいました。新宿は、日本一の歓楽街の歌舞伎町もあり、たくさんの誘惑のある町でした。

東京で、一人暮らしを始めて驚いたのは、あまりにも自分の世界観が狭かったことを思い知らされます。高校まで、真面目に過ごしていましたが、親の管理のない一人暮らしをすることで、徐々に生活が変わり、だんだん浪費のクセを身に付けてしまいました。

現在はすべてやめることができましたが、タバコ、お酒、パチンコを覚えてしまったのは大きいです。当時は、日本もバブル絶頂期でアルバイトもしていましたので、お金もかなり持っていました。しかし、そのお金もすぐに失うような使い方をしていました。

今思えば、この頃に片付けの仕方と、貯金の仕方を教えてもらっていれば、かなりお金を貯めることができたと思っています。

今日は、ここまでです。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。
このブログは、長男の空手の練習に付き合っているために毎日23時に更新しています。
毎日1,000文字を目標に書いています。

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隊長こと、写真の松屋(福岡県うきは市)メインカメラマン 松尾 勝彦でした。

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