隊長の自己紹介|写真の修業時代(20~25歳)

隊長です!

現在、自社のホームページを制作しています。
いろいろ、あ~でもない!こうでもない!みたいな感じで、作っては改善、作っては改善と、日々頑張っています。その中で、僕の自己紹介のページを作ろうとしています。

自己紹介ページには、10代の高校時代から、現在までの軌跡を描いてみたいと思います。

自分で言うのもなんですが、結構 波乱万丈です。
山あり谷なりと、ジェットコースターに乗っているような人生です。おかげで、いろんな勉強をする機会をもらいました。そのおかげで、勉強が好きになりました。

僕の成長の変化を読んで頂ければ、変化の速いこれから時代の準備が少し理解してもらえるのではないか?と勝手に思っています。何か参考にして頂ければ幸いです。

写真の修業時代(20~25歳)

東京で2年間、写真の専門学校で勉強をした後に、四国・徳島の立木写真館で5年間修業しました。この会社に入社したことで、僕の夢(目標)は叶ったことになります。
今振り返ってみても、ここで過ごした5年間はとても貴重な大事な時間でした。

当時、専門学校を卒業したで苦労も何も知らないわけです。学生気分も抜けずに考えの甘い自分が、社会人になったわけです。社会人になる苦しさをここで味わいます。最初の6ヶ月間は、本当に辛く苦しいものでした。学生気分が、全く抜けなくて、苦労しました。

誰も知らない土地に来ての社会人。たまたま東京で一緒だったYくんも一緒に、この写真館で修行をしました。本当は、同期入社なので仲の良い関係であればよいのですが、一緒に入社すれば、ずっと比較され続けます。今は、仲が良いのですが入社当時は、なかなか本音で話ができない関係でした。しかも、ずっと比較されて育てられるようになり、いつしか比べない!比較しない!自分らしさを大切にすることを大事にするようになります。

この頃を辛さを表現すると、入社して2ヶ月間の電話代が月々5万円を超えていました。
今の時代は、電話代がかかることはないのですが、当時は辛く寂しくて、誰も相談相手がいないので、東京の友人(男)に毎日のように電話をしていました。しかし3ヶ月目からは、電話し無くなったので、だんだん社会人に慣れてきたのだと思います。

ここで修業した5年間で、根本から考え方を変えてもらいました。
この時に悟ったことは「他人に育ててもらうことの大切さ!」でした。親には、甘えてしまいますが、他人なら甘えられないわけです。このことは、現在行っている長男の子育てにも役に立っています。

修行中にたくさんのことを学びました。
今でこそブラック企業と呼ばれますが、当時は毎月100時間以上の残業をするのは当たり前、①先輩の技術を盗み②仕事ができるようになるまで自分で勤務時間外に技術の練習する。
そのような修業時代を過ごしてきました。良い経験です。今は、教えてもらうことが当たり前ですが、古き良き時代でした。おかげで、他人の仕事を見る(盗む)ことの目を養ってもらったと思います。

また先輩たちも厳しくて、なかなかつらい修業時代でした。
5年間の修業期間でしたが、実家に帰る日を指折り数えていました。「あと2年で帰れる!」「あと1年で帰れる!」。そんな苦しい修業時代でした。

なぜこの写真館で修業したいたのか?と言いますと、僕が10歳の時に父親に「将来、写真屋になれ!」と言われたのは、当時NHKの朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」があっていて、その番組を見ていた父親が、テレビを見ながら「ここの写真館で修業してこい!」と言ったことが始まりでした。

とても辛い修行の時期でしたが、後々考えると、この期間は後の成長には大きかったと思います。入社して毎日3年間、怒られる続けてました。

今日は、ここまでです。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。
このブログは、長男の空手の練習に付き合っているために毎日23時に更新しています。
毎日1,000文字を目標に書いています。

良かったら、また読みに来てください。
もし気に入って頂けたら、ブックマークを付けてもらえると嬉しいです。
僕のブログが、仕事や、生活に何か?お役に立てたら幸いです。
また読んで頂いて感想や、コメントを頂けると嬉しいです。
下記のコメント欄を使って、お気軽にコメントや感想を送ってみて下さい。

隊長こと、写真の松屋(福岡県うきは市)メインカメラマン 松尾 勝彦でした。

    コメント

    PAGE TOP