隊長の自己紹介|実家の写真館に帰る(26歳)

隊長です!

現在、自社のホームページを制作しています。自分で作れるので、いろんなページを作成をしています。
多分、このブログを読んでいる人も、なぜカメラマンの人が、片付けや、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」の話をしているのか?わからないと思うのです。

カメラマンから見ると、話が繋がらず、分かりにくいと思いますが、僕の生い立ちを知ると、ここでこんな出会いがあって、こんな事件に巻き込まれて、今に至ったのか?がわかってもらえると思います。

できれば、僕みたいな経験をしないでほしいのですが、なかなか教わらずに来ると、僕みたいなことは誰でも起こると思います。ただ、克服するためには、相当の時間を要します。できれば早く習得すれば、大人になり、社会人になった際に、スムーズにことが運ぶと思うのです。

僕の話は、10代で身に付けられるお話です。
もし10代で身に付けることができれば、きっと夢や目標が生まれ、意味を持って人生を歩んで行けると思います。

それでは、前回の続きから始めたいと思います。

実家の写真館に帰る(26歳)

26歳の時に、徳島での5年間の修業を得て、実家に帰ってきました。
徳島では、本当に辛かったのですが、仕事の基本をみっちり鍛えてもらいました。

しかし実家に帰ってきても、同じ写真館なのに自分のできる仕事がないのです。
その理由は、修行先に写真館と、実家の写真館の
①規模が違うこと
②やっている仕事内容が違う


僕の父親は、僕の将来のためにいろんな仕事ができるようになった方が我が子のためと思い、いろんな仕事をやっている写真館に修業に行かせたかったわけです。しかし当時の実家の仕事は、結婚式場の仕事が90%のお店でした。

ほとんどが土日祝祭日しか仕事がありません。
また修業先で学んでいたのは、
ブライダル・ポートレート・七五三・成人式・お宮参り・1歳の赤ちゃん・証明写真・学校アルバム・料理写真など。
ありがたいことに最新のカメラや、機材を使わせてもらっていました。

特に修業時代、頑張っていたのは学校アルバム。
その理由の1つに、経験の少ない者は、スタジオでの撮影ができず、学校アルバムの撮影で腕を磨くことでした。

しかし実家では学校アルバムをしていません。だから、ほとんど仕事らしい仕事をしていない、ボーっとした状態でした。そんな状態が半年続きました。

近所の方からも「写真屋さんは、どうやって食べているの?」と不思議そうに言われたことがあります。

当時のお店の状態は、土日祝祭日はお店が閉まっています。理由は、結婚式場に行って仕事をしているからです。そして平日はお客さんが来ている気配がありません。だから、近所の人からすると、写真館の仕事はどうやって食べて生活しているのか?不思議だったようです。

今日は、ここまでです。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。
このブログは、長男の空手の練習に付き合っているために毎日23時に更新しています。
毎日1,000文字を目標に書いています。

良かったら、また読みに来てください。
もし気に入って頂けたら、ブックマークを付けてもらえると嬉しいです。
僕のブログが、仕事や、生活に何か?お役に立てたら幸いです。
また読んで頂いて感想や、コメントを頂けると嬉しいです。
下記のコメント欄を使って、お気軽にコメントや感想を送ってみて下さい。

隊長こと、写真の松屋(福岡県うきは市)メインカメラマン 松尾 勝彦でした。

    コメント

    PAGE TOP